こんにちはかこんばんはかよく分からない時間帯に失礼します。
皆さんに自然環境の重要性を身近に感じてもらう為に日本の自然環境の危機についてお話しています。
前回は里地里山の減少、及びそれによって併発する問題について書きました。
今回は前回の内容につながる話です。
里地里山が減少した一番の原因はやはり時代と共に人々の暮らしが豊かになり近代化していった事です。
時代の変化と共に人々の暮らしが変化していく事は当たり前の事であり逆らえるものではありません。
今回は日本のかつての暮らしと、なぜ暮らしの変化により里地里山が減少したのかをお話したいと思います。
まずはこれをご覧ください。
お絵かきソフト書いたので少々分かりにくいところがありますが...、
上記の図はかつての日本集落の簡単な図です。
かつて人々(ムラビト)はムラ、ノラ(里)、ヤマ(里山)を日常的な生活の場として暮らしていました。
ヤマの奥にあるモリからは神の領域とされ、ムラビトは入ってはいけず、
モリに入れるのはクマ狩りなどを行うマタギという人たちのみでした。
さらに奥の原生的自然は完全なる神の世界となりマタギも入ることが許されず、
修行を行う山伏や行者しか入れませんでした。
ムラビトたちは奥山に入れないので信仰心を深めるために「鎮守の森」というものを作りました。
鎮守の森(兵庫県篠山市川北の春日神社)
ムラやノラの中に小さいモリや原生的自然を見立てそこに神を祭りました。
こうすることで奥山に行かなくても信仰心を深めることができたのです。
このように、森や自然を神聖な場所として崇め、生活空間を限っていたことで、
豊かな自然環境を保つことができ、食料の採集・狩りをしてもそのダメージを最小限に抑えることができました。
むしろそのダメージが適度に働き、極相林などにはならず生物多様性豊かな環境が保たれました。
その暮らしは正に人と自然の共生そのものでした。
しかし、戦後となり、国の近代化が急激に進み、
それに伴い人々の自然への信仰心は薄れていきました。
奥山を形成していた国有林は木材需要のために乱伐され、跡地にはスギやヒノキが一斉造林されました。
これにより、森林生態系に壊滅的な打撃を受けました。
スギが造林されたことで現在我々が苦労している花粉症が出てきたのは言うまでもありません。
そして前回もお話した様に、里地里山、いわゆるムラビトが日常的な生活の場として機能していた場所は、
社会経済の変化によりヤマでの仕事が激減。
さらに近代化に伴い、人々の生活スタイルも近代化し都市に人口は流出。
それによって農山村での人間活動は縮小。
耕作放棄地は拡大、里山生態系は崩壊していき、
かつて、里地里山だった場所は極相林と化し奥山との差が曖昧になってしまいました。
だらだら書いてきましたが、今、日本という国が抱えている問題及びその解決策をまとめると...、
上記の様になります。
2の問題が困難と書いてあるのは現代社会は近代化と共にグローバル化が進んでおり、
地域の産物(薪、柴、木材、竹、山菜、獣肉)があっても、
外国から輸入されてきた安価な代替品があるため、存在価値が薄れてしまうのです。
それをいきなり変えるというのも無理な話ですし、変えようとしても相当な年月がかかると思います。
これが日本の人々の暮らしの変化に伴った、自然環境の危機のおおまかな全体像です。
最後にこのような事をあまり言いたくはありませんが、
僕は学生という立ち位置であり、まだ知識にはまだまだ乏しいものがあります。
今回、僕が話したことは大学の授業で学んだことです。
なので今回話したものとは別の問題も数多く存在していると思います。
皆さんには、
この問題が原因なんだ‼ とすぐに断定せず柔軟な発想を持ち、
今回話した内容を幹とし知識を枝葉のごとく広げていって欲しいです。
僕も皆さんと共に勉強している者の1人です。
一緒に学んでいきましょう。
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